New Astrology
in Age of Aquarius

ホロスコープの愉しみ #04

対立するホロスコープと共鳴するホロスコープ

同じホロスコープでも180度異なります。
解釈によって別ものになるのです。
「対立二元論」と「共鳴関係論」の違いです。


同じホロスコープなのに

物事は比較対照すると面白い。

「比較対照は理性のはじまり」なんてヤボなことは言いっこなし。

「面白い」という感覚のお話です。

とはいえ、両方あるのも事実です。

感覚と理性。

ホロスコープも同じです。

感覚と理性、いわば対立と共鳴、両方があります。

一つは、対立させて解釈する感覚的なホロスコープです。

もう一つは、共鳴関係によって理性的に愉しむホロスコープ解釈です。

前者は、いわゆる「吉凶解釈」で、吉か凶か善か悪かに分けて対立させて占断するものです。

後者は、ご理解いただけないかもしれませんが、宇宙の現実に基づいた共鳴関係論によって、共鳴リーディングを行なう「宝瓶宮時代」(ほうへいきゅう じだい)のホロスコープ解釈のことです。

占星術師でもあり天文学者のケプラー(1571-1630)が生存した16世紀頃に、占い稼業に転化した「古典占星術」に端を発した「吉凶解釈」の定着ではないかと想定しています。

なぜなら、当時はキリスト教の全盛期が続いており、神かサタンかといった対立二元論の「双魚宮時代」(そうぎょきゅう じだい)の歴史パラダイムのなかでホロスコープ占いに転化し「吉凶解釈」に終着したのだと思われます。

ある意味では、伝統的な解釈です。

ですが、科学的思考が発達した今日においては、現実的とは言えず、現代的でないのも、また事実の一面があります。

なぜなら、「禍福はあざなえる縄のごとし」、また「万事塞翁が馬」といった故事ことわざがあるように、吉は凶に、凶は吉へと変遷流転していくことが実際にあるからです。

一方、共鳴関係によるリーディングは、過去のホロスコープ解釈になかったもので評価は後世が定めるでしょう。

なぜ、共鳴リーディングなのかといえば、「共鳴関係論」を歴史パラダイムとする宝瓶宮時代がはじまり、その占星学的な時代区分の変遷によって、次元上昇した宝瓶宮時代の新しいアストロロジーが発祥していくからです。

近世「古典占星術」の前身、古代ギリシャの「古典アストロロジー」から、約2,000年ぶりの「アストロロジー」の誕生といえる出来事です。

現代の最先端科学「量子論」(量子力学)とも矛盾しない宇宙理論に基づいた論理的なホロスコープの解釈です。

◆One-Point 日本に占星術ブームが到来した初期のころはともかくとして、「対立二元論」による吉凶解釈の過ちに気づいておられるかたは多くいらっしゃいます。あえていえば初期のころは吉凶解釈が通用していたというプロセス的なお話です。

辛党と甘党みたいなもの

分りづらかったら、両者の違いを辛党と甘党にたとえてみましょう。

お酒好きの辛党と、ケーキなどスイーツ好きの甘党です。

私は両方イケます。

辛党でもあるし甘党でもあるからです。

甘いものをおつまみにお酒を飲める両党使いのタイプです。

校閲さんから怒られそうです。

「両党使いではなく、両刀遣いだろ!」なんて。

ホロスコープも同じです。

西洋占星術の吉凶解釈を学びましたが、飽き足らず限界を感じて、共鳴リーディングを見出しました。

宇宙理論がズドーンと頭に降りてきたからです。

考えたら宇宙法則ゆえ、すごく現実的でした。

もちろんその人のレベルに応じて、リーディングを行なうことは必要かつ重要です。

人によっては、吉凶解釈のほうが当てはまったり、ご自身でご納得されるかたがいます。

その一方で、逆にあるべき姿や進むべき方向性をホロスコープ・リーディングしてお伝えし、ご満足いただけるかたも多いのです。

吉凶によらない共鳴リーディングでです。

両者の違いの意味は案外と奥深いことに気づきました。

次のようにです。

結果を占い師に「当てて」もらうか、ご自身の判断で、より良い結果に(当てに)行くかです。

いわば「奴隷」に収まって楽しんでおられるかたと、ご自分で「自主的」に未来を切り開いて愉しもうとされておられるかたといえます。

そのかたご自身の好みや生き方や人生のプロセスの途上の相違で、どちらでもいいのです。

「当たる/当たらない」といった結果をとらえた占い師依存の生き方が必要な一時期もあるでしょう。

そうではなく、ご自身の意志で自由にご判断をされて人生を開いていく自立型の生き方が必要なこともあります。

「当たる/当たらない」には関与しない生き方が必要な時期や年齢域は、誰にでも当然あるのです。

いわば、善か悪か吉か凶かといった対立的な解釈ではなく、社会の現実に基づいた共鳴関係による解釈もあるということです。

◆One-Point 子供か大人か、自立しているか自立していないかの違いともいえますが、一方では、信用できる占い師なのか、そうではない占い師なのかともいうことができ、結局は実学としてのスタンスが必要なようです。

ホロスコープの“楽しみ”と愉しみ

表題のように、対立的な二元解釈と共存的な共鳴解釈が同じホロスコープといえどもあります。

信じる信じないはともかく、結果的な「吉」か「凶」かを占い師が読む解釈と、宇宙この世界の現実に即して、共鳴関係によってリーディングしてメッセージを伝え、そのかたの自主的な最終ご判断をいただく解釈です。

ご自分の人生ですから、お好きなほうをどうぞということですね。

お話は閑話に戻ります。

辛党のかたはお酒をたしなまれます。

甘党のかたはケーキなどのスイーツを好まれます。

両党使いのかたは、お酒もスイーツも臨機応変に愉しまれることでしょう。

飲めないお酒を無理やりすすめても、食べない甘いスイーツを無理に強要しても、結局ハラスメントなので、ご自分で飲みすぎや食べ過ぎにご注意されながら、適切に臨機応変にチョイスされればいいんでしょう。

さて、閑話休題です。

ホロスコープも同じではないでしょうか。

対立するホロスコープと共鳴するホロスコープ。

吉凶解釈をされて神にでもなったように、ホロスコープを結果的に占断して優越感に浸るのも、それはそれで楽しみも一つといえるかもしれません。

もう一つは、共鳴関係論によるホロスコープを解釈されて、宇宙この世界の秘密を解き明かす論理的な愉しみです。

いろいろとお話はあります。

が、対立二元論のホロスコープ解釈の楽しみと、共鳴関係論のホロスコープ解釈の愉しみもあるよという、ご参考のお話でした。

辛党でも、甘党でも、両党でも、それ以外でも、お好みで選べる時代です。

◆One-Point ご判断は、常識的に考えれば、どなたにも明白だと存じます。ただそれを、どこまで述べていいのかということもあって、ここでは読まれるかたのお考えや良識にお任せすることにいたしました。一般サイトなのでそうならざるをえません。